スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

出版プロデューサー 山田 稔 氏 (出版の方法を知って、自力でお金をかけずに出版を目指そう)

 当記事は、自分の本を出版したいという方、そして、出版プロデューサー山田 稔氏に自分のプロデュースを依頼するかどうかを検討している方、あるいは、何とか自分で出版社に売り込んで本を出せないかと考えている方、そういった方々を読者対象としております。
 読了までに要する時間は25~30分。前半はわたくし饗庭 悟(あえば さとる)の体験談が中心となります。要所だけをお読みになりたい方は、下記の<小見出し目次>を頼りに後半まで読み飛ばしてください。

<小見出し目次>
私は山田氏に依頼したが、出版は実現しなかった
当記事を掲載する目的
.txt
出版までの1年間の軌跡
涙の意味
山田氏に依頼して出版が実現する真の条件は
「山田村の住人」であること
既知の人に売るか、未知の人に売るか
アマゾン・キャンペーンか、他の出版プロデューサーか
共同・協力出版
あなたの話にお金を払う価値があるか
講演会を開く
通るのは企画ではなく原稿
読むのは読者ではなく編集者
営業の基本
100冊以上も出版した男の過去
出版への早道



<本文>
私は山田氏に依頼したが、出版は実現しなかった

 最初にお断りしておきますが、当記事は出版プロデューサー山田 稔氏を非難・批判や誹謗中傷を目的とする記事ではありません。

 実際、彼はあまたの出版サポート事業者の中で、最初に請求する金額が最も少額です(セミナー代などで数万程度)。出版が実現しなければ、それ以上の料金を請求されることはありません。出版が実現するのかどうかわからない段階で法外な手数料を取る事業者が多くいるなか(依頼料70万という出版プロデューサーもいました)、少なくとも価格の面で彼は良心的です。
 また、次の点でも良心的です。この業界では出版そのものを商品としている出版社が多く存在し、それら企業は出版希望者から200万~300万の料金を徴収して、出版希望者が書いた本を出版してくれます。もちろん、どんなにお粗末な内容でも出版してくれます(個人的に一番驚いたのが、1ページに1つずつ、ダジャレがかいてあるだけの本がこの方法で有名書店に並んでいたこと)。ただ、そういう出版社の多くはその後のフォローをあまりしません。詳述は避けますが出版社からすれば、著者から料金をいただいているうえに再販制度も絡み、既に出版した時点で利益はあがっているのでしょう。つまり、本が売れるか売れないかは知ったことではない、売れたらラッキー、という程度の認識です。それに比べれば、山田氏は出版後のフォローもきちんとしてくれます。そのフォローは彼が経営する会社の利益と一致しているのでしょうから、その意味では著者と利害を共有するものとして彼は動いてくれます。

 以上で述べた限りにおいて、山田氏および彼の経営するK's Partnersの事業姿勢が良心的なのは事実です。

 しかしながら、わたくし饗庭 悟(あえば さとる)が山田 稔氏に出版プロデュースを依頼し、出版が実現しなかったのも事実です。
 そしてその後、自分ひとりで売り込みをかけたら、4つの企画の内、3つの企画が売り込み1社目でスグに出版が実現した。これもまた事実です。


当記事を掲載する目的

 山田氏は年間50冊の企画を出版社に通しているそうです。この50冊という数字をどう判断したらよいのでしょう。もちろん、この数字は分子です。分母がいくらなのかは分かりません。類推して見ましょう。
 山田氏に自分の企画をプロデュースしてもらうためには、彼のセミナーに参加しなければなりません。全国各地で開催されるこのセミナーが、仮に週1回ペースで開かれているとしましょう。すると年40~50回の開催となりましょうか。私が出席したセミナーでは20人ほど出席者がいました。これは大変大雑把な計算ですが、彼は年間800人から1000人の出版希望者(あるいは検討者)の前で話をしている可能性があります。その中から50名が出版を実現していることになります。
 さて、これを率が高いと言っていいのかどうか。他の事業者の数字が発表されていない以上、客観的な比較検証ができませんので判断できません。ただ、いずれにせよ、私と同じようにその50名の中に入ることができなかった人がたくさんいるのは、常識的に考えて事実でしょう。

 冒頭でわたくしは当記事を、山田氏を誹謗中傷するために掲載するのではないと述べました。かといって、自分の企画を通してくれなかったことへの恨み節を述べるためでも、また、自力で出版できたことへの自慢を述べるためでもありません。

 わたくしは、こう思うのです。すなわち、出版へのまともなチャンネルが山田氏一つだけというのは健全な状態ではない、と。

 彼が大変誠実であったとしても、また50冊の出版実現が圧倒的な実績であったとしても、山田氏及びK'Partners だけが選択肢というのは健全とは言えないのではないでしょうか。この50名に入れない人が多くいるのは事実でしょうから、これ以外にも選択肢がほしい。


.txt

 実際、わたくしはこういう経験をしました。山田氏はセミナーなどで、出版社に送信するファイルの拡張子は.txtしかダメだということを強調していました。でなければ出版社に受け付けてもらえないというような意味のことをおっしゃっていたように記憶します。しかし、わたくしは出版社とのやり取りで一度も、山田氏が言う拡張子を用いたことがありません。それで、わたくしの本を出版してくれた出版社を含め全てのかかわった出版社において、中には企画(原稿)の売込み手順を細かく指定する出版社ですら、わたくしが用いた拡張子が問題視されたことが一度もありません。
 ファイルの拡張子ひとつとっても、事ほどさように、彼が言っていることが全て絶対的に正しいわけではありません。業界のことを知り尽くしているはずの彼の言ですらこれです。だから、山田氏しかマトモな出版へのチャンネルがないというのが健全な状態とは云えないのです(他の出版プロデューサーは論外)。わたくしは出版に至るまでに大変苦しい思いをしました。健全な国家には与党に対して健全な野党が不可欠なように、苦しい思いをしたわたくしの経験が健全な野党足り得るのではないかと考え、ここに当記事を掲載します。

 これを述べる時点(2016年4月)で、わたくしは4冊の本を出版しており、1冊の企画が進行中です。出版実績として十分なものとは言えません。よって、この記事を掲載する資格があるとは言えません。
 しかしながら、わたくしが山田氏と1年間やりとりしたことを、記憶がまだ幾分定かなうちに記録しておかなければ、今後も出版について何か語る資格を獲得しえないと考えました。これを書いている時点で既に3年が経っています。これ以上の時を経て記憶がさらに曖昧になる前に、無資格を承知で当記事を掲載するものです。
 おそらくここで述べたことは、出版を目指している方々への一助となりましょう(特に後半)。当記事をご覧になっている方々は、出版を実現したい、出版プロデューサー山田稔氏に依頼するかどうか迷っている、出版に数百万はかけられない、といった方々でしょうから。
 数百万ではなくとも、山田氏に依頼して出版が実現すれば、印税から何%かは彼に報酬として支払わなくてはなりません。もし、その必要なく出版が実現できれば、それに越したことはないでしょう。ただ、彼に依頼した方がよい場合もあるかもしれません。そのことを検証すべく、「山田 稔氏にプロデュースを依頼するとは、どういう意味をもつのか」を考えていきましょう。そのために、わたくしと彼との関わりを振り返ります。


出版までの1年間の軌跡

 まずは、時系列を。わたくしが山田氏と関わった事実関係を列挙します。メールなどの記録類で確かなものもあれば、記憶に頼っているものもあります。記憶については若干曖昧なところもありますが、とにかく、わたくしの思いを一切排除して、紹介していきます。その思いについては後で述べます。

2012年12月中旬
 ある書籍でビジネスの事例として紹介されていた、山田 稔氏および彼の事業のことを知る。彼のブログを読み、彼にプロデュース依頼のメールを送信する。が、返信は来ず。(後に、この書籍の著者と山田氏は友人で、一緒に情報商材を発売していたことを知る。)

2013年1月中旬
 再度メールを送信。K's partners のHPにあった(当時)、合計10~12万円程度で出版社に企画を売り込んでくれるコースを希望。セミナー出席を避けて、いきなり私のエージェントになってくれるよう要請した。今度は返信が返ってきたが、要請を断られる。セミナー参加は不可欠だとのこと。よって、1万円(当時)を支払い、セミナーを申し込む。ただ、ワンセットで行われる、山田氏・セミナー参加者との懇親会および翌日の勉強会は申し込まず。そのうえで無料の『出版企画書の書き方』をダウンロードし、熟読する。

2013年2月中旬
 私が在住する大阪で開催された『出版実現セミナー』を受講。その後の懇親会に飛び入りできないかと交渉したが、店側の都合で参加できず。

2013年3月上旬
 別途に希望して、秋葉原にある彼の事務所で個人レッスン(3万円、当時)を受ける。このためだけに上京した。

2013年3月中旬
 前回は申し込まなかった勉強会(参加者一人ひとりが企画をプレゼンし、山田氏や参加者から精査を受ける会。当時5000円)に、今回は参加。後に私の『堂々面接回答 ザ・クール・アンサー』(新曜社)となる企画を、自ら希望してトップ・バッターで発表する。その後の懇親会にも参加する。
 セミナーと勉強会の両方に参加したことで、企画書の無料添削を受ける資格を得る。この翌週より、週一回の無料添削(メールでやりとり)を受ける。

2013年6月第1週目
 山田氏が私の企画書に合格を出す。以降、彼がこの企画書をもとに売り込みをかけることになる。3月上旬の個人レッスンから数えて、実に13回目の企画書提出でOKが出た。
 後日、郵便で契約書を交わす。が、その後、彼からの連絡はなし。

2013年8月第2土曜日
 渋谷で開催された山田氏のセミナーに参加。これは『出版実現セミナー』ではなく、著者デビュー後、2冊目以降の戦略についてのセミナー。彼以外にも2名の講師(うち一人は著者)がいて、連続3回講演。
 山田氏の講演は以前に聴講した内容と重なるところが多々あった。が、一方でセミナー前に、彼から『饗庭さんの企画書、出版社の人たちから評判いいよ』と声をかけてもらう。
 セミナー後の懇親会にも参加。その日の最終の新幹線で帰阪。今回もこのためだけに上京した。
 なお、これを綴っている時点で、渋谷の交差点で別れの挨拶をしたのが、山田氏の顔を見た最後。

2013年10月
 大阪で彼がセミナーを開くことを知った私は彼に連絡し、セミナーには参加できないが懇親会には参加したい旨を伝える。許可が出たので、当日セミナー終了時間に合わせて会場に行くと、真っ暗で誰もいない。翌日になって彼から謝罪メールが届き、セミナーが予定時間より早く終わり、早目に懇親会会場へ移動した、その時饗庭さんが参加することは忘れていたとのこと。

2013年11月上旬
 この時までに山田氏からの連絡、一切なし。私の方からメールする。その内容は、私の企画内容および景気動向からして来年3月までに出版できなければ、おそらく永遠に出版できないだろうと懸念していること。また、本来なら今年中に出版する予定で年初よりあなたへコンタクトしたのに、未だあなたからの連絡がないことに焦りを覚えていること。さらに、あなたにプロデュースを頼んで出版までに2年かかった事例があるのを知ったということ。以上を伝えたが、彼からの返信の内容は、ただ「時間がかかかることもある。待て」といったニュアンスのもの。

2013年11月中旬
 山田氏からOKが出ていた企画書を書き直す。この時点で、既に今年2月には完成させていた原稿を破棄し、新しい原稿を完成させていた。後に、その新原稿は修正をほとんど受けることなく、そのまま出版される。

2013年11月28日
 また私の方からメールする。自分で出版社に売り込みをかけたいと申し出る。その際にあなたの名前を出すかもしれないがよろしいかと尋ねる。彼からの返事は、以上のことへの許諾と、出版が決まったら必ず連絡することの2点。許諾への感謝と報告の確約のメールを彼に送信した同日、新曜社に企画書を送る。

2013年12月16日
 新曜社から企画を採用する旨、連絡が入る。そのメールを見たときは普段と変わらぬ様子でいたのだが、出版が決まったことを弟に対面で報告した時、思わず膝から力が抜け身体が落ち、涙を流してしまう。

2014年2月25日
 『堂々面接回答 ザ・クール・アンサー』が出版される。このとき、報告メール(もちろん去年中に送信)とは別に改めて、山田氏に感謝の意を伝える(本にも彼への謝辞を載せた)。その際、結果的には自力で出版を果たしたが、山田さんあっての出版だと思うので、K's Partners の実績に本書を加えてください、と申し出る。また、山田さんのブログで本書を紹介してもらえればありがたい、とお願いする。彼からは、喜んでそうする、との返信がある。これを綴っている時点で、このやり取りが彼との最後の連絡となっている。

2014年3月下旬
 後に『進路に悩んだら読む 16歳からの「孫子」』(彩流社)となる企画の売り込みに成功し、2冊目の出版が決まる。これも前回と同じく、売り込み1社目での企画採用であった。この時点でK's Partners のHP、そして山田氏のブログを確認したが、私のことについて触れている箇所を見つけられず。



 以上です。
 わたくしは長年、饗庭 悟(あえば さとる)の名がついた本を世に出すことに憧れており、それとなくつてを頼って当たったことがあるのですが、やはり有名人ではない自分に出版は無理だと端から諦めていました。ところが、2012年末に山田氏の存在を知り、出版できるまで徹底的に活動しようと動きはじめました。恥ずかしくも弟の前で思わず、膝の力が抜け涙を流してしまったのは、長年憧れていた商業出版が実現した、そういう思いがあったのも一つの要因とは言えましょう。


涙の意味

 しかしもっと大きな要因は、この2013年という1年がわたくしにとって大変、たいへん辛い年だったということです。

 それは、あの人の言ったことについて多くの疑念があったこと、その疑念を抱えつつ、あの人の連絡を待ち続けたことの辛さです。
 「山田さんはいつになったら連絡をくれるのだろう。本当に売り込みをかけてくれているのだろうか。いやいや、あの人に依頼したのだから信じて待とう」
 そんな葛藤が毎日毎日、胸の中で湧き起こりました。詳述は避けますが、出版が決まるかどうかは今後の自分のキャリアの死命を決するものでしたので余計に祈るような気持ちでした。だから、いつも山田氏から連絡は来ないものかと待ちわびておりました。彼はオレの恋人か!と自分で自分にツッコミをいれたくらい、来る日も来る日も山田 稔という名前が頭をよぎりました。
 契約書を交わした以上、彼が行う出版社への売り込みに費用が発生していないとはいえ、ビジネスなのだから、何かしらの経過報告は欲しいと思っていました。が、出版決定の連絡はおろか、その経過報告すらありませんでした。時系列でも述べたように、わたくしの企画の性質上、タイミングを逸すれば、1年以上どころか永遠に出版できないかもしれません。タイムリミットは刻々と近づいていました。

 彼からの連絡が来ないことに対して、こちらからできることは何もありません。メールを送るのも一生懸命にやってくれている(であろう)彼に、催促しているようで失礼、と遠慮していました。企画書添削も無料だという負い目がある(だからこそ、彼は無料にしているのでしょう。出版実現を義務にしないために)ので、なおさら催促めいたメールは送れません。それと後で述べますが、山田氏とその取り巻きを見ていると、催促メールを送ることで、山田氏が動いてくれない恐れがありました。
 こういう事態を予想して、最初に10万円以上するコースを希望したのですが、今さら追加の料金を彼に支払おうとしても、彼は受け取らない、つまり、出版実現の約束について対価を受け取ることはしないだろう。これだといつまで待たされるか分からない、2年後かもしれない、そうなれば出版環境としても世間の情勢なんてとっくに変化している(わたくしの企画は景気動向に左右されやすい)。いや、散々待った挙句、出版は無理でしたともなりかねない。途中の経過報告も一切ない。どうすればいいんだ。こんなことばかり考えていて、本当に辛かったです。
 2013年の夏は大変な猛暑でした。その夏にわざわざ上京してセミナーを受講したのも、セミナーに参加したいという思いより、はっきりいって山田氏のご機嫌取りでした。どんな形でもわたくしが山田氏の利益に貢献していることで、私の存在を意識させたい。とにかく彼にあって話をしたい。そんな思いで懇親会も参加しました。その時に、上記の時系列にあるように、声をかけてもらえたことで希望がもてましたが、その後も何の音沙汰もなし。吉報はおろか経過報告もなし。フェイスブックをやっていない私には連絡するのも面倒、ということだったのでしょうか。
 2013年、私は待って、待って、待ち続けました。毎日毎日、恋人のように山田氏のことを思い出していました。このまま信じてよいのかどうか、自分で活動した方がよいのではないかと散々悩みました。2013年、私は本当に、本当に、本当に、苦しかった。それが、自力で売り込みをかけ呆気なく出版が決まって弟に報告したときの、あの涙につながったのでしょう。出版実現の喜びの涙というより、「ああ、これで山田 稔から解放される」という思いの涙だったかもしれません。
 

山田氏に依頼して出版が実現する真の条件は

 溢れる想い、苦しかった時の記憶をただ綴っただけの記述が続いてしまいました。が、先述のとおり当記事は恨みごとを言う記事ではなく、わたくしの経験・考えが出版への、もう一つのマトモなチャンネルになれるよう、という目的で綴られた記事であります。山田氏以外の選択肢を、出版を目指している皆さんに提供できればという思いで綴られた記事です。彼については他にも言いたいエピソードや思いがあるのですが、これくらいにして、ここからはこれを読んでいただいている方への出版の実現に向けて述べてまいりましょう。
 まずは、あなたが山田 稔というチャンネルを選択すべきかどうかです。それを考えるために、なぜ、わたくしの企画が山田氏によって出版実現へと至らなかったのかを検証しましょう。
 その理由を一言で言えば、「私の企画も、私の人柄も、山田氏のテリトリー内ではなかった」ということになります。

 当記事をお読みになっている方々はおそらくご存知でしょうが、山田氏はビジネス書、パソコン関係、健康本関係、実用書、ハウツー本を、自身のテリトリーとしています。したがって、山田氏に依頼するかどうかは、まず自分の企画が彼のテリトリー内かどうかを確認しないといけません。
 正直言って、わたくしの企画が彼のテリトリー内だというには、いささか無理がありました。まったく彼のテリトリーと無関係というわけではなかったのですが(だから、彼はわたくしの依頼を引き受けたのでしょう)、彼の得意ジャンルのド真ン中というわけではありませんでした。ですから、あなたが彼に依頼するかどうかに当たっては、彼がこれまで手がけた書籍を彼のHPやブログをチェックして、いまあなたがもっている企画と比較しないといけません。彼のテリトリー内でなければ、山田 稔というチャンネルは使えず、別のチャンネルが必要となります。

 しかしながら、実はこれはさほど大きな問題ではありません。山田氏の方向性と自分が持つ企画にズレがあるなと判断すれば、自分で売り込むなどの別のチャンネルに切り替えればよいだけのことですから。ある意味、彼への依頼を悩むことなく簡単に諦めることができます。問題は自分の企画が彼のテリトリー内だったときです。
 なぜそれが問題となるのか。自分の企画が彼のテリトリー内なら彼に依頼する、つまり彼を頼ることになるでしょう。しかし、その後にもう一つ大きなハードルが待っているからです。彼を頼るということは、どうしても精神的には彼より下位に立つことになります。その状態でもう一つのハードルは、人によってはとても厳しいものとなるのです。そのハードルとは「人柄」です。

 山田氏はセミナーやメール・マガジンなどで執拗に、著者の「人柄」について触れます。著者はまずその人柄が大事だ、と。
 
 この人柄が曲者です。

 ビジネス・マナー、それ以前の人としての礼儀、そういうものに言及して、著者の人柄を重視するというのなら理解できます。礼儀・マナーに欠ける人物を自分のビジネスから排除するのは当然のことです。
 しかし、彼の言う人柄は、これだけに留まらないのです。礼儀・マナー+αが必要なのです。


「山田村の住人」であること

 先ほどの山田氏とわたくしとの関わりを紹介した時系列をご確認ください。わたくしは2度、懇親会に参加しました。そして、山田氏にわたくしの存在を忘れられ、3度目の懇親会参加が果たせませんでした。個人レッスンを、しかもわざわざ上京してまで受け、2度目のセミナーと懇親会のためにもわざわざ上京し、10週以上、企画添削でメールのやり取りをし、その企画書は出版社から評判が良かった、そんな私を彼は忘れていたのです。
 あの置いてけぼりを食らって、誰もいない真っ暗なセミナー会場を前にしたとき、わたくしの脳裏には過去の懇親会で彼の周りに群がっていた参加者の様子が浮かびました。彼をカリスマと崇め、褒めそやす人々。自分たちの夢をかなえてくれる神のごとき人物と讃える人たち。彼のブログや書籍に載せられている写真に頻繁に登場する顔触れ(あのペンネームは妙齢なご婦人が名乗るには恥ずかしいものだという感想をもっております。ごめんなさい。これはわかる人だけへのメッセージです)。彼らを思い出したとき、わたくしは自然と「山田村の住人」という言葉を呟いていました。
 要は、山田 稔氏にとって饗庭 悟(あえば さとる)は、お友達ではなかったのです。お気に入りではなかったのです。ウマの合う人ではなかったのです。一方、わたくしは彼のファンではありませんでした。お友達感覚も当然ありません。契約書を取り交わした以上、取引先、ビジネス・パートナーだと思っていました。それ以上でも、それ以下でもありません。わたくしは「山田村の住人」ではありませんでした。
 どうやら彼が言う人柄には、彼とウマが合う、お友達になれるという意味が含まれているようなのです。学校のクラスにたとえると、修学旅行で同じ部屋に寝る人のグループ分けをするとき、山田君と相思相愛で「同じグループだよね!」と言える人、そういう人でないと、彼とともに出版を成功させるのは難しいようなのです(本当は「上下」という言葉を使って、もっとキツイたとえにしようと思ったのですが、目的が変わってしまうのでやめました。お察しください)。
 こういう感覚をビジネスに差し挟むスタンスについては、彼のビジネスですから、とやかく言うつもりはありません。もし、彼が当記事を読めば、そんな感覚はないと、おそらく否定するでしょう。しかし、本当に100%無いと言いきれるのかと問えば、おそらく彼は否定できないと思います。彼が正直なら。

 ここまでこのように述べると、なんだやっぱり山田氏を批判しているのではないかと思うかもしれませんが、そうではありません。
 ビジネスには往々にして、こういった感覚・感情レベルで、ウマが合う・合わないといったことが要因となって、事の成否が左右されてしまうことがあるのです。フリーランスで活動しているわたくしにはそういう場面・人物によく遭遇します。

 論理や現実、利害得失、投資効率より、感覚・感情が優先されることがままあるのです。

 そして、ビジネス・パートナーにしようと思っている相手が、そういうスタンスの人物なら、それに合わせてやらなければなりません。あなたがどういうスタンスの人であったとしても。わたくしは彼に合わせようとしました。しかし、そうしようとするにはあまりに彼との距離がありすぎました。

 山田稔氏にプロデュースを依頼するかどうか、結論を申し上げましょう。まず、あなたの企画が彼のテリトリーに合っていることが大前提。そのうえで彼に会って見てください。『出版実現セミナー』に参加する価値はあると思います。できれば懇親会にも参加して彼と杯を交わしてください。

 彼があなたをお友達と見てくれそうなら、依頼しても良いでしょう(あなたが彼と友達になれそうか、ではないことに注意)。

 たとえば、彼は今時の若者以上に、SNSなど、そういった人とつながるツールがビジネスには必要と考えていますし、そして、おそらく感情のレベルでもそういったものが大好きなはずです。わたくしはSNSはおろか携帯電話すら、ビジネスでもプライベートでも、論理的・現実的判断から必要としない人間ですので、この点からしても彼とは合わなかったのです。あなたが彼の思考・志向・嗜好に合うか、あるいは、合わせられるか、それで彼に依頼するかどうかを判断していただければ良いでしょう。


既知の人に売るか、未知の人に売るか

 さらに言えば、山田氏はアマゾン・キャンペーンを非常に重要視します。このアマゾン・キャンペーンに対する心理的抵抗感は脇におきます。
 抵抗感も何も、そもそもアマゾン・キャンペーンが上手くいくということは、出版前から相当数の顧客、あるいはファンともお友達とも言っていいでしょう、そういった本の購買予定者をたくさん抱えてるということです。お知り合いが多ければ多いほど有利であること、ネットワーク・ビジネスの如し。
 山田氏はアマゾン・キャンペーンを重視する、つまり、出版前から相当数の書籍購買予定者を抱えている人を好む、ということになります。もし、あなたがそういう人でなかったら、山田氏に依頼しても存在を忘れられるかもしれません。わたくしのように。
 もちろん、出版前から相当数の書籍購買予定者を抱えている人を好んでプロデュースするという商売の仕方はよくある、とても手堅いやり方です。しかし、彼はこの手法の裏返しとして、『出版することだけを目的にしてはいけない、売ることを考えないといけない』というようなことを頻繁に言うのです。それは確かにそうなのですが、その言葉の裏には、どうも結果を性急に求める心理が働いているようなのです。

 無名の著者の立場からすれば、初版時の印税は大したことがありませんので、出版前から自分のことを知っているファンに買ってもらうだけでは、うま味はありません。むしろ、身内ウケだけして、拡がらずにそこでお終いというのが一番恐ろしい。著者からすれば出版することの初版時点でのうま味は新規の顧客を開拓すること。すなわち、出版前は自分のことを知らなかった人に自分のことを知ってもらうことです。
 わたくしの場合、1冊目は出版社が及第点を出すほどには売れませんでした。しかし、それでも新規のファンを開拓できました。たとえ数百人でも、短期間でわたくしのファンを新たに獲得できたのです。その一人が実務教育出版の編集者でした。むろん、そんなことは(狙ってはいましたが)つゆ知らず、私の方からメールでその出版社に売り込みをかけたのです。すると、一冊目を読んで私のファンになってくれたその編集者から返信が届き、こちらの持ち込み企画とは別に、企画の逆提案をされました。それが3冊目の『大卒公務員試験スピード解説 文章理解』(実務教育出版)となりました。この本はわたくしのキャリアに重要な意味を与えました。要するに、1冊目はさほど売れていませんが、それを出したことで3冊目につながり、それがわたくしの今のビジネス全体を支えることにつながったのです。

 このことは著者にとって、本を出版するだけでも効果があることを意味します。

 わたくしはそのことを、今までフリーランスで生きてきた経験で分かっておりました。ですから、山田氏の『出版することだけを目的にしてはいけない、売ることを考えないといけない』にはずっと大きな違和感を抱いておりました。出版することだけを目的にしてもいい、と思っていました。ただ、それは出版社にしたら困るということなのでしょう。
 しかし、冷静に考えてください。本を売るのは出版社の仕事です。作曲者は曲を書きます。が、その曲を売るのはレコード会社の仕事です。同様に、著者は良い本を書くのが仕事であり目的であり、売る方は責任外です。しかし、こんな時代ですから「出版することだけを目的とされたら困る。著者自身が売り上げに協力してくれないと」という出版社の考え自体は正当ですし、もちろん著者も売り上げに協力すべく営業をかけます(わたくしも駆けずり回りました)。が、一方でその考え方は出版社自身の責任を安易に著者に背負わせる考えでもあります。
 こういう考えがアマゾン・キャンペーンを著者に促すことになります。なるほど、それによって売り上げが一定程度確保できる出版社は満足でしょう。が、この時点で著者は、特にこれがデビュー作の著者は、本当のうま味を得ていないのです。
 アマゾン・キャンペーンで成果を出すことが、後の売り上げにも、つまり知名度拡大にもつながると言いいたいのかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。デビュー作がアマゾン・ランキング1位を獲得、そんな「ドラフト1位ルーキー」が、その後どの程度の確率で活躍できたのか、アマゾン・キャンペーンをしなかった著者との有意味な統計学的格差があるのかどうか、わたくしには明確なデータを持ち合わせていませんので何ともいえません。
 ただ言えることは、今の時代、アマゾンでのランキングや書評がどういうものなのか、誰でも知っているということです。


アマゾン・キャンペーンか、他の出版プロデューサーか

 仮にアマゾン・キャンペーンを成功させることができれば、後々の成功に高い確率でつながるという命題が成り立つとしましょう。となると問題の本質は、この仮の命題が真でも論理的にその裏は真とは言えない、にも関わらず、アマゾン・キャンペーンを成功させられない人は後々成功する可能性が低いと見なされ、著者になれない、デビュー候補から除外されてしまうことなのです。当然、良い本・売れる本を書く力と、アマゾン・キャンペーンを成功させる力とは、本来別物です(重なる部分はありますが)。前者の力はあるのに、後者の力がないがゆえに出版できないのは理不尽な話です。
 そんなアマゾン・キャンペーンを重視する山田氏は、出版社と著者の双方の利益になるようにというスタンスを取っている、とそう表明しています。これは彼の意識のレベルでは、ウソではないでしょう。しかし、結果的にはどちらかと言うと出版社寄り、だと思います。これは彼のことを非難しているのではありません。出版社出身で、今も出版業界と密接に関わって彼は仕事をしているのですから、当然のことなのです。著者になろうとしている側が、彼にプロデュースを依頼するなら、それくらいのことは理解していなければならないだけのことです。
 よって、アマゾン・キャンペーンを成功させるだけの顧客数を持ってもいなければ、彼とお友達にもなれない、この2条件のどちらも満たしていないとなると、山田氏に依頼して出版を実現するのは難しいと言えます。
 ちなみに、山田氏も他の編集関係の人も多数証言していますが、山田氏以外の出版プロデューサーは金を取るばかりで頼りになりません。その山田氏ですら他にもいくつか疑念がありました。たとえば、企画書の無料添削でも前後で矛盾した指導をしたり、ずっとスルーしてきた箇所に突然ダメ出しをしたり、感覚的な表現(『う~ん、なんかチョッとちがう』など)を用いて曖昧に指示したり。わたくしも何百何千と大学受験・公務員試験の小論文を添削したプロなのでわかります。これは意図的に合格を出すのを引き延ばしているのではないのかと。何の意図かは分かりませんが。とにかく、最も良心的と思われる彼ですらこうです。ましてや、他の出版プロデューサーは美辞麗句を並べたてるだけで、到底ビジネス・パートナーして選べるものではありません。


共同・協力出版

 では、商業出版を諦め、200万でも300万でもかけて本を出すか、スグに確実に出版できるし、出版するだけでも意味があるのだから、というわけでいわゆる協力出版・共同出版という第2の道を選択する人もいます。この件につきましては、当記事で採り上げる価値はないと考えています。もし講演などで機会があれば詳しくお話ししますが、ここではひとつ本質論を述べて終わりにします。
 すなわち、あなたの企画・原稿が協力・共同出版というこの方法でしか出版できないのでしたら、それはそもそもあなたの企画・原稿に出版するだけの価値がないということです。先ほど出版することで、出版社から及第点をもらえるほど売れなくても、それなりに(特にターゲットをピンポイントで絞れば)新規の顧客が開拓できる、だから出版するだけでも意味があるといいました。協力・共同出版(及び自費出版)でしか出せない企画・原稿は、そもそもその顧客が開拓できないような内容であることを意味します。(もちろん、わたくしが言うような意味ではなく、文字通りの意味で出版を目的とするのなら、この方法でもよいでしょうが。)
 先述した意味での出版する価値がある企画・原稿は、商業出版、つまり通常の出版を果たすことができます。そういう企画・原稿をおもちでしたら、自分で企画書を書き、自分で売り込むことになります。


あなたの話にお金を払う価値があるか

 となると、あなたは売り込み方を考える前に、そもそも自分の企画・原稿に出版するだけの価値があるかどうかを問わなければなりません。あるいは、人々がお金を払ってでもあなたの言葉に触れたいと思うほど、あなたがスゴイ肩書き、スゴイ経歴を持っているかどうかを問わなければなりません。
 これはわたくしの耳にもよく入る話なのですが、なぜ本を出そうと思ったのか、その動機を尋ねたら、『自分の話が周囲に感心されて、その話を本にして出したらと何度も言われたから』と答えるのです。この動機は本質を外しています。その話は「タダで」周囲に聞かせたから、周囲の人は感心したのです。その話に500円でも1000円でも払って聞こうという人がどれだけいるでしょうか。お金を払ってでもその話を聞きたい・読みたいと他人が思う。そういう言葉を、話を、セオリーを、ノウハウを、あなたは持っていますか、ということです。(実は、これと同じ話を大学生・高校生の就職面接指導でしております。採用されるということは君という人物がその企業にとってお金を出す価値があると認めたということなんだと。)
 となると、まずはあなたの企画が他人にとってお金を払う価値があるかどうかを精査しないといけません。あなた自身がお金を払う側に立って考えてみるのは当然のこと、書店で類書を研究して自分の企画と比較をしたり、自分が書こうとしている分野をよく知る人物に企画内容を説明してその価値を問うたり。わたくしに相談していただいても構いません。有料で申し訳ないですが個別相談を承っております(ただし彼のように成功報酬はいただいておりません)。いずれにせよ、企画内容そのものをまず高めなければ、出版社への売り込みは全くの徒労に終わってしまいます。


講演会を開く

 この企画内容を高める作業は怠りなくしなければなりません。この高める作業というのは具体的には、「読者にここまでサービスするか~」と自分でツッコみを入れたくなるほどの内容にどんどん変えていくことです(ただし、何にでも「適度」というものはあります。原稿が分厚くなりそうな、執筆に1年以上もかかってしまいそうな、そうなってしまうのはサービス過剰で、出版社や著者自身に過度の負担となります)。

 その練り上げた企画内容が本当に商業出版する価値があるのか、つまり、読者に買ってもらえるほどに、そして出版社にも製作コストを出してもらえるほどに高まっているかどうかは、どうやって判断すればよいのでしょう。わたくしの場合、その判断は簡単でした。講師業をフリーランスで営んでおりますので、すべて自分の名前で講演主宰者の依頼を取ったり、聴講生を集めないといけません。わたくしの今まで出版した本の内容は、すべて講義した内容です。その内容に聴講生が満足して、さらに次のわたくしの講義を申し込んでくれました。それを見て主催者もわたくしに別の講義を発注してくれます。そんなふうに、わたくしがもつ話のネタでお金が取れると分かっていましたので、商業出版するレベルにあると客観的に判断できました。
 一方で、これを読んでいる皆さんのほとんどは講師業を生業としていないでしょうし、講師の方でも多くは所属校・教室名や講座名で聴講生を集めていて、自分の名前で集めてはいないでしょうから、なかなか客観的に判断するのは難しいと思われるかもしれません。では、いっそのこと講師となる、自分名義のセミナーを開いてみてはいかがでしょう。どこか会議室を借りる。自分の知り合いだけでもいいから集めて、1000円~1500円くらいの聴講料を取る。本にする内容の半分をもって90分ほど講演会をする。講演会終了後、お金を払って損得のどちらを感じたかアンケートをとる。残り半分をもって講演会を再度開き、お客さんの集まりを見る。これくらいのことはしてもよいと思います。


通るのは企画ではなく原稿

 企画内容がお金を払ってもらえる程度にまで高まったと客観的に判断できれば、執筆に入ります。もちろん執筆中にも、どんどん企画内容を高める余地があれば高めていきます。
 出版社に売り込む際、完成原稿があった方が良いかどうかですが、山田氏は、原稿は要らない、企画書だけでいいと言います。その理由は、原稿を書いても採用されるかどうかは分からない、企画書を書いて採用されてから原稿を書いたほうが無駄が無いとのこと。

 わたくしは原稿は先に書いていた方が、できれば完全原稿があった方が良いと思います。

 その理由一つ目、原稿のあった方が、それに基づいてより良い企画書が書ける。二つ目、企画書だけで採用を目指すと、採用されたいがためにどうしても背伸びした内容の企画書になり、採用後にこんな企画の原稿なんて書けないという事態になる可能性がある。三つ目、これが最も大事な理由ですが、多くの出版社では企画書だけで否決されることはあっても、採用を決定されることはない。出版社の検討材料として、どのみち原稿を見せてくれと言われる。だから、完全原稿でなくても企画の肝になる部分は原稿を仕上げておきたい。以上のことから、原稿は先にあった方が良いと思います。ただし、大幅な書き換えを命じられる覚悟の上で。
(以上のことは、これを呼んでいただいている皆さんが、「出版社への売り込みには完全原稿をいきなり持っていってはいけない」ということを常識として知っているという前提で述べております。企画書だけをまず提出し、それにOKが出てから原稿提出という順番。念のため。)
(さらに補足するなら、山田氏が原稿は要らないと言ったのは、彼が得意とするパソコン関連などは、そうなのでしょう。わたくしの場合はすべて採用前に原稿を先に見せてくれと要求されました。)


読むのは読者ではなく編集者

 というわけで、わたくしが提案したいのは原稿を書いた後に企画書を書くという順序です。
 その企画書の書き方ですが、これは受験小論文の書きかたやビジネスにおけるプレゼンの仕方と基本は同じです。わたくしは独自に方法論をもっていますが、あえてここでは述べません。これを読んでくれている皆さんがわたくしの方法を知らなくても、山田氏の無料の『企画書の書き方』を読めば事足りると思いますので。
 ただ、一点だけ述べます。企画書に書く企画名、つまり本のタイトルはあくまで仮題で、読者に向けてのタイトルにするのではなく、出版社の編集者を意識したタイトルにした方がいいでしょう。すなわち、読者向けに格好をつけたタイトルをつけてスベる可能性があるよりは、編集者に一目で企画内容を理解してもらえる、やや堅めで説明調のタイトル(企画名・仮題)の方が、編集者の心証もよくなるので、いいでしょう。


営業の基本

 そうして企画書を明快に、コンパクトに仕上げることができれば、いよいよ出版社へのアプローチです。
 と言いましても、何か特別な方法があるわけではありません。企画内容さえきちんとしていれば、つまり、企画内容が斬新で、あなたが書く必然性のあるものなら、普通に持ち込んでも、持ち込み企画を受け付けてくれる出版社ならスグにも採用されるでしょう。
 わたくし自身も何か特別な方法でアプローチしたが故に本が出せたわけではありません。ただ、営業の基本として、企画そのものより、企画を提案している人を売り込むことが大事という原則を守り、わたくしの人柄(先ほどもこの話題がありましたね)を売りました。すなわち、企画書とは別に、出版社が喜びそうなメッセージや関心を持ちそうな自分のエピソードを短く添えました。
 したがって、持ち込み企画を受け付けているかどうかをはじめ、ある程度は出版社のことを調べないといけません。でなければ、相手が喜びそうなこと、関心を持ちそうなことが分かりません。売り込もうとしている出版社に、自分の企画と同類の書籍が出ているかどうかくらいは調べておきましょう。


100冊以上も出版した男の過去

 ここで一人の著者を紹介したいと思います。彼は100冊以上の本を出している方なのでご存知の方も多いかもしれません。そのお方は千田琢哉さんです。彼の本を購入したことはないのですが、出版履歴には興味がありました。彼はデビュー作こそ増刷がかかりましたが、そのあと6作続けて増刷できませんでした。なんと12作目までは自身の売込みで出版を果たしていたのです。出版社からのオファーを受けるようになったのは13作目以降。彼の著作の中に『印税で1億円稼ぐ』という本がありますが、まさにそのタイトルのような売れっ子の著述家となっていきました。
 ここで千田琢哉さんを紹介したのは、このようなスゴイ人物でも12作目までは自らの営業によってしか本を出せなかったという事実、同時に、6作連続して売れていないにもかかわらず、本を出し続けることができた事実を知って欲しいからです。彼は一般応募で本を出し続けたわけですから、出版プロデューサーなる肩書きを持つ人に頼ったわけではありません。自力で出版し続けたのです。
 それで、なぜ千田さんは無名の頃でも出版し続けることができたのかと言うと、企画内容も彼自身も魅力的だからです。企画も、千田さんも、「中身」があったのです。


出版への早道

 わたくしは職業柄、就職活動においてどうやったら面接を突破できるかと質問されます。しかし、わたくしはそんな面接テクニックではなく、そもそも自分自身の「中身」を作ることを諭します。表面上の面接での受け答えを覚えても、「中身」のない人物は良い企業には採用されません(悪い企業なら別ですが)。短期間でも、反省して自分の生活や勉学を見直せば、「中身」はつくれます。魅力的な人間に変身できます。その方が面接テクニックを学ぶことより余程有意義ですし、どのみち「中身」がなければテクニックも生かせません。いや、生かすも何も、「中身」があればその必要すら感じず、せいぜい味付け程度に使うだけでしょう。
 また、わたくしは職業柄、英語が話せるようになるにはどうすればよいかと質問されます。しかし、わたくしはそんな英語「を」話すための方法論を求めるのではなく、そもそも英語「で」話す「中身」を持つように諭します。いくら英単語や表現を覚えても、語る「中身」のない人間は英語を話せません。そういう人が話せるのはせいぜい旅行会話程度ですが、それは英語が話せるとはいいません。何かしらの専門性や深みをもたなければ、「中身」のある英語は話せません。それは何らの専門性も深みも持たない日本人の話、当然日本語での話が誰の関心も呼ばないのと同じです。その時、その人は有意義に日本語を使えていないのです。英語が話せるとはまさに有意義に英語を使えることです。それは「中身」があるかどうかです。
 同様に、もしわたくしがどうやったら出版できるかと質問されたら、どういう出版のルートがいいかとか、企画書をどうやって書いたらいいかとか、どの出版プロデューサーがいいかとか、どの出版社がいいかとか、売込みに成功するテクニックは何かとか、などなどではなく、そもそも「中身」をつくりましょう、と申し上げるつもりです。それは企画する本の「中身」と、あなた自身の「中身」です。
 どうやったら自分は魅力的な人間になれるか、魅力的な言葉を吐けるようになれるか、それを日常の生活レベルから考え続け、洗練していく。それを怠りなく、行い続けていれば出版は実現できます。その時、出版プロデューサーを通すかどうかなど、どうでもいいことになります。出版プロデューサーに頼るというのは、日常生活の洗練を怠ったということです。わたくしもかつて怠ってしまいました。それは結果的には良い経験として今後にも生かせるのですが、もし2012年12月(先程の時系列の最初)のわたくしに語りかけることができるのなら、こう言うでしょう。
 安易に頼るな。自分の「中身」を磨き上げることに集中しろ。それが結果的に、出版への早道となる。

(了)

※ご相談は
aebasatol@yahoo.co.jp
まで。 
プロフィール

饗庭 悟 : AEBASATOL

Author:饗庭 悟 : AEBASATOL
自己紹介

☆お問い合わせは
aebasatol@yahoo.co.jp

カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。