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公務員採用選考教養試験:古文問題と解説〔出典ジャンル:俳論〕

 向井去来が自分の詠んだ歌について、師匠の松尾芭蕉と語る次の文を読み、選択肢の中から内容として妥当なものを選べ。

 岩鼻やここにもひとり月の客  去来

 先師上洛じやうらくの時、去来言はく、「洒堂はこの句を『月の猿』と申し侍れど、予は『客』まさりなんと申す。いかが侍るや」。先師言はく、「『猿』とは何ごとぞ。汝、この句をいかに思ひて作せるや」。去来言はく、「明月に乗じ山野吟歩し侍るに、岩頭また一人の騒客を見つけたる」と申す。先師言はく、「ここにもひとり月の客と、己と名のり出いでたらんこそ、いくばくの風流ならん。ただ自称の句となすべし。この句は我も珍重して、『笈の小文』に書き入れける」となん。退きて考ふるに、自称の句となして見れば、狂者のさまも浮かみて、初めの句の趣向にまされること、十倍せり。まことに作者その心を知らざりけり。
                                                             〔出典:『去来抄』〕

1 私は岩の突端に立って月をめでる客となった、と去来は詠んだが、自分が月をめでる客だと名乗ったという意味にした方が良いと先師は言った。

2 岩の突端にも月をめでる客がいた、と去来は詠んだが、自分が岩の突端に立って月をめでる客となったという意味にした方が良いと先師は言った。

3 私は岩の突端に立って月をめでる客となった、と去来は詠んだが、先師の言うように、岩の突端にも月をめでる客がいたという意味にした方が10倍優れていると去来は考えた。

4 岩の突端にも月をめでる客がいた、と去来は詠んだが、先師の言うように、自分も月をめでる客だと名乗ったという意味にした方が10倍優れていると去来は考えた。

5 岩の突端にも月をめでる客がいた、と去来は詠んだが、自分も月をめでる客だと名乗ったという意味にした方が10倍優れていると先師は考えた。











[解説]
 以下の図解の通り、芭蕉(=先師)が強調しているところからまず選択肢照合をかけると、肢1・4・5が引っかかる。もちろん、各肢で問題文への逆照合をかける。そのうち肢1は図解の問題文下線(1)と一致しないので×。肢4と5については、去来も芭蕉も自称の句にした方が優れていると考えているのだが、最初にそう考えたのは芭蕉であり、去来は後になってから(『退きて考えふるに』)、そちらの方が10倍優れていると考えるようになった。『十倍せり』と思ったのは去来のほうだ。

[図解]
岩鼻やここにもひとり月の客  去来

 先師上洛じやうらくの時、去来言はく、「洒堂はこの句を『月の猿』と申し侍れど、予は『客』まさりなんと申す。いかが侍るや」。先師言はく、「『猿』とは何ごとぞ。汝、この句をいかに思ひて作せるや」。去来言はく、「明月に乗じ山野吟歩し侍るに、(1)岩頭また一人の騒客を見つけたる」と申す。先師言はく、「ここにもひとり月の客と、己と名のり出いでたらんこそ、いくばくの風流ならん。ただ自称の句となすべしこの句は我も珍重して、『笈の小文』に書き入れける」となん。(2)退きて考ふるに、自称の句となして見れば、狂者のさまも浮かみて、初めの句の趣向にまされること、十倍せり。まことに作者その心を知らざりけり

1 ×私は岩の突端に立って月をめでる客となった、と去来は詠んだが、自分が月をめでる客だと名乗ったという意味にした方が良いと先師は言った

2 岩の突端にも月をめでる客がいた、と去来は詠んだが、自分が岩の突端に立って月をめでる客となったという意味にした方が良いと先師は言った。

3 私は岩の突端に立って月をめでる客となった、と去来は詠んだが、先師の言うように、岩の突端にも月をめでる客がいたという意味にした方が10倍優れていると去来は考えた。

4 (1)岩の突端にも月をめでる客がいた、と去来は詠んだが、先師の言うように、自分も月をめでる客だと名乗ったという意味にした方(2)10倍優れていると去来は考えた

5 (1)岩の突端にも月をめでる客がいた、と去来は詠んだが、自分も月をめでる客だと名乗ったという意味にした方が×10倍優れていると先師は考えた

[ 正答 4 ]

<全訳>
 (名月の夜)岩の突端にも一人、自分と同じように月見をする人(月をめでる風流人)がいる。

 師が上京された時、私(去来)が言ったのは、「洒堂はこの(下の)句を『月の猿』と(するのがよいと)申しますが、私は『(月の)客』のほうが優れているだろうと申します。いかがでしょうか」と。師が言ったのは、「『猿』とはどういうことか。おまえは、この句をどのように考えて作ったのか」と。私(去来)が言ったのは、「明るく澄んだ月に浮かれて山野にて句を作りながら歩いております時に、岩の突端にもう一人の(月をめでる)風流人を見つけた(という情景を詠んだものです)。」と申し上げる。師が言うことには、「ここにも一人月見をする人(月をめでる風流人がおります)と、自分から名のり出たことにしたならば、どれほど風流であろうか。ぜひ自称の句とするほうがよい。この句は私も大事にして、『笈の小文』に書き入れておいた」と(いうことだ)。後になって考えると、自称の句として見ると、風狂の人の様子も思い浮かんで、最初の句の趣向よりも優れていることは、十倍である。本当に作者自身がその(句の)本意を知らなかったことであるよ。

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饗庭 悟 : AEBASATOL

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